「この世界の片隅に」感想
「この世界の片隅に」を観ました。
「この世界の片隅に」観了。すごい映画でした。そんなに泣かなかったけど。片言では語れん。「観る」というより、なんか「体感する」映画かと。心と身体の奥深くに深く深く残る映画でした。すごい。
— 芦谷 佳介 (@ashyunya) 2016年11月27日
基本的に映画は前情報一切なしで観たい派なんですが、このご時世観たいと思う(特に評判になっている)作品は一切前情報をシャットアウトして観るのは難しいです。
本作も、自分のTwitterにおいては基本的に絶賛の評価しかなかったので、(そういうツイートもあんまり詳細に見ない読まないようにしていたけれど)そうかそうかと秘かに何気に大期待して観る時にはティッシュとハンカチまで用意したんですが、そんなに涙は流しませんでしたね。
でも「感動」はした。
「絶賛」の意味を自分の中で勝手に穿き違えていたんですね。別に「泣きに泣いて」みたいな作品ではなかったです(そういう人ももちろんいるみたいですが)。
とにかく、主人公の「すず」(声:のん(能年玲奈))が愛おしくなる作品でした。
すずの人生が。すずを通した「人」の人生が。人が「生きる」ということが。
人々が生きる「この世界」が。
アニメーションに対して、「生命を吹き込む」みたいな表現が使われますが、本作はまさに登場人物に「生命」が感じられ、(単純に絵としては「君の名は。」の方が「キレイ」なんだけど、こちらの方が)リアリティがあった。
(どちらが良い・悪いという話ではなくて、どちらかというと「好き嫌い」のハナシだと思います。で、「この世界の片隅に」の方が私は「好き」だな。)
「かぐや姫の物語」にも通じるような。
本当に、この世界の片隅にすずが生きていたあの時の追体験をしているようだった。
良質なドキュメンタリーを観ているような気もした。
(ここで言う「良質なドキュメンタリー」とは、別に時代考証的に真っ当だとかそういう小難しいハナシをしているわけではありません。念のため。)
「火垂るの墓」に変わる、受け継ぐ、反戦映画として語り継がれていく作品になると思います(作り手側にその意志は無いのかも知れないけれど)。
「火垂るの墓」と違うのは、そのポップさというか、軽やかさ。
あたたかで爽やかな春風のような。
しかしそれは単に悦びにだけ溢れたものではなく、「なまぬるい」というものでも決してなく、命を脅かされる程の「冬の厳しさ」を経たうえでの、その「解かれた」すこやかな、風。
素晴らしい作品だと思います。
そう、ただの「ふわふわぽわぽわ」しただけの作品では全然なくて、観た人に「傷」「痛み」を共有させるような、それでいて「それでも」生きる、生きていく、喜びも哀しみも楽しみも怒りも共に携えながら…という感情を刻み込むような作品だと思いました。
とにかく、この映画を観て、「生きよう」と思いました。更に強く。
もうちょっと「ちゃんと」生きよう、と。
…最近、「もっと生きよう」と思う出来事もありました(それに関しては、もしかしたら後日書く…かも)。
このブログは、その意志表示の意味も込めて開設しました。
もちろん、本ブログタイトルは今日観た「この世界の片隅に」と関連させたものであります。
が、今日この日に「この世界の片隅に」を観て、このタイトルのブログを始めたのは、映画の影響だけではもちろん無くて、その他諸々様々な布置によるものだと思います。
この先自分がどうなっていくのか、どう「生きて」いくのかを含め、このブログを通じて表現してもいきながら、自分の「人生」を味わっていきたいと思います。