2016年 今年の十大ニュース。
2016年も残すところあと1時間を切りましたね。
自分でも恒例に出来たらいいな。
1.十年来の「友人」に、初めて会う。
…とあるSNSで、最初にやりとりを交わしたのは(調べたところ)2006年でした。
10年間、会うこと無く、「言葉」のみでやりとりをしていました。
(昔で言えば「文通相手」というところでしょうか。)
その人と、なんと今年、会う機会が訪れたのです。
…しかし。
当日、その方は飛行機で東京に来る予定だったんですけど、なんとその日
丁度それにあわせたような時間に羽田で(他の)航空機がトラブり、羽田が全面封鎖。
そのためその方が乗ってた飛行機が羽田に着陸出来ず引き返すことになり、
なんと新幹線で改めて東京に向かうことに。
そのため、東京着時間が大幅に遅れ、会える時間が大きく損なわれたのでした。
その方は医療関係従事者で、翌日の講習会のために前乗りで来て下さったんだけれど、
そんなトラブルに見舞われながら翌日講習会もあるのにも関わらず、しかも会える時間もかなり短くなりながらも、何の不平不満も出さずにお会いして下さいました。
しかし、結局、実際一緒にいられたのは2時間少々。誠にあっという間でした。
10年ごし、で、2時間ちょっと。時間が足りるわけありません。
話したいこと聞きたいこと語り合いたいことは山ほどあったけれど、本当にごくごくわずかしか言葉を交わせなかったことが悔やまれます。
…もう少し長く喋ることが出来て、いろいろ交流出来たら、もうちょっと今違った感じになったのではないか…と思わないことも無いけれど(本当に、もっともっとたくさんお話したかった)、そのような「外部」から到来した「どうしようもない」トラブルに見舞われてしまったのだから、それが「運命」と受け入れるしか…なかった…ですよね…。
(でももうちょっと話す内容違うものに出来たよね。)
あ、今思い出しながらこうして書いていたらだんだん悔しさが込み上げてきた(笑)。
また会って話したいなぁ…今度はもっと長く…じっくりと……
そういう機会が、いつかまた巡ってくることを願って。
ともかく、そういう事態に見舞われながらも結局会って下さった
その事実だけでも大感謝です。本当に本当に貴重な時間でした。
一生の思い出になりました。
(またあの店に(1人ででもいいから)行きたいな…(本当はまた一緒にがいいけど…))
2.THE YELLOW MONKEY再集結。
2016年、申年。
なんといっても今年はこの話題から始まりました。
THE YELLOW MONKEW再集結。
2001年1月8日、イエローモンキー自身初の東京ドームコンサートが、
自分自身にとっても最初で、しかも最後だと思ったきたイエモンのライブ。
それが、15年の時を経て、再集結し、しかもその最初の5.11代々木体育館での再集結1発目のライブに行くことが出来た。
「何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ」
ALRIGTHよろしく、運命を感じずにはいられない。
あの初日の、第1曲目(「プライマル。」)の第1音(を聴いた時の感慨)は忘れない。
(その後の今年の活躍は言わずもがなですね。その後、DVDになった7.10さいたまスーパーアリーナと、こないだ12.28「メカラウロコ27」(のライブ・ビューイングだけど)に参加できました。さらに、テレビ出演も多数。そして今日は締めの紅白これから。)
メディア含む音楽シーンが、こんなに楽しみになるとは1年前は思ってもみてなかった。
改めて、THE YELLOW MONKEYの皆さまに感謝です。
3.祖父、逝く。
2016年10月初め、祖父が急逝しました。
本当に、本当に突然の、予想だにしない出来事でした。
この出来事が「1」でもよかったくらいなのだけれど、
ポジティブなことの方がやっぱり…ということもあるし、
たぶんじいちゃんもそう思うように(勝手にだけど)思い。
実はそのちょっと前から、兄夫婦に甥(←俺からの関係)がもうすぐ産まれそうということで、佐渡に居る母も東京に来ていたタイミングでした。
家族中、本当に誰しもが「まさか」と思うタイミングでした。
…大学在学中…だから10年以上前から、毎年春秋に、田植え・稲刈りの手伝いに行ってました。ここ数年は自作しなくなったこともあり田んぼの手伝いには行ってなかったけれど、それでも毎年1回は佐渡にはじいちゃんに会いに(ここ数年は母にも会いに)行ってました。
自身で小学3年生から野球をやっていたこともあり、大学3年の夏に野球を辞めるまで、佐渡とは(祖父・祖母とは)それほどの関係ではなかった。でも、自分の野球をやらなくなってから、手伝いに行くようになり、そこで「初めて」祖父に(佐渡に)触れることで、どんどんじいちゃんが(佐渡が)好きになりました。
この人がいなかったら今の自分はいないわけで。
でも、はっきり言って、じいちゃんのこと、そんなに知らないんだよな、きっと。毎年帰るたびに昔の話も聞いてたけど。思ってるより、ずっとずっと、知らない。そしてそれは、親に関しても言えることだと思う。
「親孝行したい時には親は無し」と言いますが、もう少し、親とのことについても考えていかなきゃな…。
4.兄夫婦の結婚式と、甥の誕生
兄夫婦が、今年の5月に式をやりました。佐渡で。
その時はまだまだ全然元気だったんだよな、じいちゃん。
っていうか亡くなる2日前くらいに電話でも話をして、その時も思いのほか元気な声だなと思ったのに…
でも、今思えば、今年のゴールデンウィークに結婚式をして可愛い姪っ子ちゃん(←俺からの関係)の姿もじいちゃんに見せることが出来て、非常に良かったよね。
…そして、10月に甥っ子が生まれるんだけれども、
誕生予定日の数日前に祖父が亡くなったことで1回引っ込んでしまって(笑)、
祖父の葬儀等々終わった後に生まれてくるという、既に空気を読んでいる非常に優しい心の持ち主なのです、甥っ子。
(そして、そういうタイミングだから、甥っ子の中に絶対じいちゃん入ってるよね。笑)
姪っ子ちゃんともども、今後の成長が楽しみです。
5.2年3ヶ月務めた職場を辞める。
9月末、2年以上務めた職場の、最終出勤日を迎えた。
(契約的には10月末までで、10月は丸々有休消化期間だった。)
その少し前から転職活動をしていたんだけれど、残念ながら前職期間中に新しい(正職の)勤務先が決まることは無かった。
ただ、11月初旬より品川にて(短期だけれど)派遣の仕事にありつき、今現在も継続して就業している。
そこでの仕事との出会いもそうだけれど、あるおもしろい「出会い」が、いま起こりつつある。
それが年明け2017年、どのように転がっていくのかはまだ全然わからないけれど、今現在はそれを非常に楽しみにしている。
自分の人生に大いに関わるのではないか、という直感が自分の中では強く働いているのだけれど、でも人間関係って、自分の一方的な「想い」や「流れ」だけで成り立つものではないから、本当にどうなるかは未知数なんだけれども。
相手次第。…なのか。でも、相手次第、とするのはちょっと違う気もする。
しかし、自分の想いや言動だけで自分の人生が(自分の思うように)動いていくとは決して思っていない。
ただ、ともかく、その存在のお陰で、いま生活に(控えめに言って)「張り」があるのは間違いない。
どうなっていくのか(もしかしたらこのまま何も無い可能性だって十分に有り得る)、楽しみに見ていきたい。
6~10は、12月23日に前の前の職場の飲み仲間と久しぶりに飲んだり、6月にも同じ前の前の職場の人と飲んだり、2月に毎年恒例の北海道帰省で友人や少年野球関連の方々と飲んだり、10月に東京に来た母と飲んだり(飲んだ話ばっかり)、いい映画観たりいい本読んだり……
じいちゃんが無くなってしまいそれはそれは哀しいことだったけれど、トータルで見れば非常に良い年だったと思います。
そして、それは来年2017年に繋がると確信してます。
幸も不幸もあわせて、2016年は忘れがたい年になりました。
最後にみなさまのご多幸を祈念いたします。よいお年をお迎え下さい。